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伝道の書 第三章 「旧約聖書より」


No.001 2003年 11月

天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。


私は信者ではない。しかし、今までこの「伝道の書」以上の詩文に出会ったことはない。

若い頃は、仮に定められた運命があったとしても、人間の能力で切り開くことが出来ると自負していた。
余分な言葉で人を傷つけ「その時を計らなかった」自分の至らなさを責めたこともあった。
しかし、最近では、「こんな事もわかっていなかった」自分に対して、今だからやっと気づいたのだと思う。
人と出会い、人と別れる・・・全ての計らいにも時があるのだと納得する。
人を責めず、実りなく自分も責めない。
そうずると、不思議とストレスもたまらない。
毎日のストレスは翌日までも持ち越さない。
これも生きる知恵の1つかもしれない。




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